今だけの写真と空気感、成長は過ぎゆく、シンプルを教えてくれる

この数日、似たテイストの写真が続いていますが、まあそういうことです。

広い場所と空、今の今にしか捉えることのできない目の前の状況が撮りたい。

娘が好き勝手に周囲を走り回るのも、人生におけるある一時期のことであるに違いない。

今の被写体としては申し分ない。今の今しかその姿はない。

一緒に公園に行くと、もうずっと遊んでいます。それを見ているのは楽しい。気付くと時間も過ぎゆきます。

「もう帰るよ」と言って、すぐに言うことを聞くことはありません。「もう帰るよ」を4,5回、時によっては7,8回、それだけ遊びが足りない。もっと遊んでいたい。

そんな今だけの時間性が写り込んだ画像は、きっとこの先に見返しても面白かろう。

娘の姿だけでなく、その写真を撮ったはずの自分自身、その時間性に身を置いていたということ。

おそらくは忘れてしまうであろう空気感、写真にはわずかながらそれが写り込んでいるはずです。

たとえば将来、私と娘が喧嘩したりして、言葉交わすことも少なくなり、そんな折に一緒に仲良く公園に行っていた写真を見返して私は涙を流す、なんて姿を娘が目撃し、結果喧嘩は収束、仲良く夕飯を食べに行って和解、なんてことが起こらないという可能性も否定できません。なんだそりゃ。

いずれもいずれ。このブログには沢山の写真が蓄積され、一応すべて自分自身で撮った写真であるために、その場所に居たということであり、その写真を撮ったその時には気付きませんが、時の経過によってその写真は意味を帯びてくる。実は多くの物語を含んでいる。二度とは戻ってこない場面が宿っている。

 

今、その娘は布団に入って、最近お気に入りの「かいけつゾロリ」シリーズの本を音読していますが、そのうちこのブログの存在を知り、読むことだってあるかもしれない。

と思ったら呼ばれ、なにかと思ったら、「読み終わった!」と。最後まで読み切った様子。

文字を読むことがどんどんとできるようになっている。本は好きみたいだ。

子供はほぼすべてを遊びに還元する。「本を読み切る」という遊びだったようだ。

そこに学ぶことは多い。日々の遊びを忘れがちだ。

忘れがちだ!あかん!もっと遊ばねばあかん!

ということを教わります。勝手に。多くの凝り固まりをほぐしてくれます。

きっともっとシンプルなんだと、実に思ってしまいます。

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