娘との対話は自分との対話にもなる

20160414

雨降りの日は傘をさしての登園。

手をつないだりつながなかったりしての娘との登園で、会話をしたり黙々と歩いたりと、そんな朝の時間。

新しい園に行くのが本当に嫌で、ずっと「帰る、帰る」と言いながら、という時期は過ぎて、少しはおとなしくなり、それでも天候に左右されてなのか、雨降りだとあまり元気はない。

そんな風にして一緒に歩いていると、自分が幼い頃に親と学校に行ったりしていた時のことを思い出す、思い出そうとするが、あまり覚えていなくておぼろげで、ずいぶんと以前のことなのだが、親にとってみれば、そんな昔のことではなく、ついこないだのこと、のように思うのだろうか、とか思いながら娘の手を引いて歩く。

子供はたいてい道端の何かしらに興味を覚え、立ち止まり、しゃがんだり、そこから一歩も動かなくなったりし、それを大人は大人の都合で「早く行くよ」と急かす。まあそれは仕方ないことだけど、そんな風な子供の視線(child-eyes)を改めて自覚させられるような、子供との登園の時間を過ごしているこの頃だ。

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