そんな顔

そんな顔 #寺の猫

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表情がとても良い。まるで喧嘩を売られている。覚えはないのに。

あるいはなにか、自分の知らない範疇で、私が行った行為で間接的に、とても迷惑をこうむり、結果このような表情でこちらをにらみつけるようなことに至ったのか。

だとしたら、本当に申し訳ないことをしたと思う。きちんと謝りたい。が、その実際のところを伺わないことにはあかん。「なぜそんな顔でこちらをにらみつけているの?」と。

しかしいい顔だ。ひりひりする。

日々の生活で「ひりひりする」ことは、以前に比べて少なくなった。

思えば以前は、よく「ひりっ」とすることがあった。主に対人関係において。

都度、その場その場で考えて対処していた。選んだ対応は、必ずしも最適解であったことはない。のちに「あのときはもっとこうすればよかった」と後悔することが多かったと思う。

歳を重ねることで、ふてぶてしさや諦めや、不躾な立ち居振る舞いを身に付けた/身に付けざるを得なかった。そうやって「ひりっ」とすることからは遠くなっていくが、さまざまな「予期せぬこと(ひりっ)」を通して、未知なるものへの鮮烈な矢面を養える。

ついぞ猫の、まるで喧嘩を売るような視線は新鮮で、多くを思い出し、勝手な解釈が広がるばかりだ。忘れかけていたことが思い起こされる。

結局今は、少なからず今はキーボードを叩いていて、今まで行ってきた行為や出会った人たちとの場面が急に思い起こされたりし、記憶は気まぐれで、それらを総じてキーを叩く。ただそれだけだ。

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