たとえば大野一雄は

 

20170428

そもそもが未開の場所を開拓しようとしている人たちの行為を、周囲の鑑賞者は理解することはできるのだろうか。

開拓者自身もわからぬままに突き進んでいるその姿を、本人以外の人たちが観ても耐えうるものだろうか。

先行者は多大なる犠牲を伴って突き進む。まるで義務であるかのように。

本人たちはとにかく、進みたいのだ。何か大きな力、突き動かされる力によって自らを鼓舞して進むのだ。

そうではない周囲にはわからない。先行者本人にしかわからない。

だからこそ、先行者だからこそ得るものがある。他の誰にも得られない。先に進んだ者たちの勇気によってもたらされる恩恵が。

 

その先には何もないかもしれない。わからない。時間が経っても、たとえば大野一雄が為したことは今でも私にはその全貌はまだわからない。

それは進むべき先にあるものがまだまだ未開だからだ。次に進む人がいなければ。

いるのか?大野が開拓した道に続いて、さらにその先に向かおうとする勇気のある者は。

 

結論を言えば「やるかやらないか」である。やればわかる。やらねばわからぬ。

道なき道を進む勇気と覚悟はあるか。

その場にとどまる安全に甘んじるか。

さてどうするか。

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