ふと頭上を見上げる前に

20170516-theninja

ふと頭上を見上げたら忍者が!

今日たまたま手に取って読んだ本が『スマホ廃人』という本で

スマートフォンが日々に浸透していくこと、スマートフォンが発端になり、さまざまな「歓迎できない」出来事が起こっている事例が書かれていた。

子育てが「スマホ任せ」になり、友人関係が「既読スルー」に代表されるスマホコミュニティに支配され、ソーシャルゲームが日常を侵食していく。

そして最近ちょいっと読みすすめているのが『一緒にいてもスマホ』。

一緒に居ながらスマホを介して対話することが当たり前になっている現代。スマートフォン以前の時代に私たちはどのようにコミュニケーションをしていただろう?

たとえばスマホが日々にある風景は、子供の世代にとってみれば「明らかに当たり前」であるだろう。親として歓迎はしないが、歓迎するしないに関係なく、潮流に日々はすっかり飲み込まれてしまっている。

最近読んだ何かの記事で

「LINEでのやりとりは冷たい感じがするけど、メールでのやり取りはまだ暖かい」というのがあって、インターネットを通したコミュニケーションとしては同じなのに、そんな細やかな部分での体感温度の違いが生じているっていう感覚は面白いと思った。

昔で言うところの「電話と手紙」みたいなことで、今はもうすっかり手紙を書く人は少なくなっただろうが、電話で会話することも少なくなった。もしかすると電話で喋ったことのある人の方が少ないかもしれないと改めて思う。

現代型のコミュニケーションツールの常態化は発展途上で、テクノロジーばかりが進んで使いこなせない。結局旧来の使用法に依拠してその発展版としてしか使用できない。が、ひとアイデアスパイスを足せば、きっともっと有用な使用法があるはずだ。

が、結局人は易きに流れるものなので、なるようにしかならないだろう。

コミュニケーションの旧来型と、新たにタケノコ群的にニョキニョキ生えてくる新興ツールに踊らされる前に、きちんと周囲を見渡していなければならん。

でないといきなり頭上に忍者が現れて「うわっ!」てなって(写真の風景、最初気付いて本当に「うわっ!」てなった)、すぐに「高いところでいつもごくろうさまです」と声をかけたくなるのだ(そして懸命に窓を拭く彼に、その声はなかなか届かない)。

そしてもう一冊。

もっと自分を見てほしいのに、スマホばかり見ているママ。そんな絵本。これはさすがにぞっとした。素直な子供の言葉がそのままこわい。

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