娘を送る

朝、娘を保育園に送るのが日課になっている。

朝食の支度をし、娘に食べさせ、着替えをして歯磨き・洗面・髪をとかしてから家を出て保育園まで送る(歩いて10分~15分)のだが、娘が朝食を食べるのに集中していない、遊びたがって時間がかかる日があって、9時までに登園しなければならないのに家を出るのが8時50分を過ぎてしまうことがある(遅刻)。

こちらは8時半には出る支度はできていて、あとは娘待ちなのだが、8時半を過ぎているのにまだ寝巻のままご飯を食べていると「いらっ」が訪れる。

朝食は8時前から用意して、ある程度一緒に食べるが、それでももたもた食べているので遅くなる。日によっては機嫌がよくて早く食べ終わるときもあるので問題ないのだけれども、遅くなると、できるだけ鷹揚につとめるが、そうもいかない日もある。

で、9時に間に合わないタイミングで家を出て送るときは、娘に「今日はすごく遅いよ」とたしなめ、娘も反省したようになるが、あまり治らない。

家を出るのが遅くなっていらだつ自分の心地はなかなか切り替わらず、それは当然娘にも伝わり、なんとなく会話も少ないまま保育園に到着して別れるのだが、特に月曜日など休日をはさんでの登園時などは、娘も不慣れな状態で園に送り出されることに不安になるのだろう、別れ際に泣き出すときがある。

そうすると先生が来てくれて、「大丈夫?あっちにおもしろいのがあるから行こうか」と、往年のベテラン対応で娘を落ち着かせてくれ、「それじゃあお父さんにいってらっしゃいって」と言って娘も落ち着いて別れる。
(時にそれでもだめなときがあり、そういうときは泣きながら抱きついて離れようとしないので、先生がどうにかして放してくれる)

別れ際に泣かれてしまうと、こちらとしてもなんとも申し訳ないというか、悪いような気がしてしまい、その気持ちを抱えたまま出勤し、時間が経てば忘れるが、それでも時たま思い出して「今は大丈夫だろうか」とか思う。

「朝ごはんをもたもた食べる」ことであとあとまで時間が押して困る、というのは、きっと子供はあまり気にしないというか、大人以上に子供は瞬間瞬間を生きているのだろうから、もたもた食べても構わない、その後保育園まで行く登園時に雰囲気が悪くなるのは嫌だけど、きっともう原因は忘れているか気にしない、お別れは単純に悲しいから泣く。

あと半年もしたら、小学校に上がったら、いわゆる「送り」をしなくなるわけで、そんな日々を懐かしく思うだろうか。

いやもちろん、懐かしく思うだろうから今を大事に、とかいうのではなく、もちろんもたもたしているはだめなのでちゃんと注意し、それはそれとして気持ちを切り替え、できうるだけ楽しく登園の時間を娘と共有したいという思いがある。

「娘を連れて保育園まで送る」という行為のそれ自体、人生において実にわずかな期間の出来事であるだろう。

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