それは波長のようなもの

日曜日に訪れた「文京子育てフェスティバル」での「文京パパバンド」の演奏の様子(僕らのバンドではなく、また別のパパたちのバンドです)。

会場である部屋の、天井の蛍光灯の配置がおもしろく、画的に良い。

写真に撮ってみて、改めて面白いと思った。会場にいたら気付きにくい天井(視点は写真下のバンド演奏しているパパに向けられているだろうから)。


夜、そろそろ寝るころの時間に娘が急に計算ドリルを始めて、しばらくおとなしいと思ったら、急に「2たす4は6だよね!」とか「5たす1は6だよね!」と、嬉しそうに報告をしはじめた。「そうだね」と言うと、嬉しそうに計算ドリルに戻り、また黙々と計算を始める。

夜のテンションか「わからないことがわかった」という理解の喜びか。

その単純かつ素晴らしき「知る」嬉しさをできるだけ味わっていただきたいと、そろそろ寝るころなのだが放っておいたら、それはもうずーっとやっているものだから、さすがにいい加減「もう終わり」と言うべきで、「そろそろ終わりだよ」と言うと、「あと2つだけ」と言って、あと2問だけ計算をして終わったようだ。


いつそのスイッチが入るかどうかわからない「知りたい欲求」や、朝の時間にいい具合に食事を済ませたり着替えたりして、すぐに保育園に向かう「やる気」の在りかは見出しづらい。

無理にやらせようと思っても効果はない。無闇に意図しても叶わない。

それはつまるところ「波長」のようなものかもしれない。

合えば不思議と合う。合わなければがんばっても合わない。

もっと耳を澄ませて、周囲に目をやり、天井を見上げてみなければ、不思議な蛍光灯の配置には気付かない。

それにしても不思議な蛍光灯の配置だ。無造作に見えるが意図的な。なさそうでありそうな。

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