いずれもいずれ、時代とダンス

金曜日の仕事を終え、それなりの疲労を抱えながらコンビニエンスストアでビールとチューハイを買い、合わせて夕飯のパスタを、店頭に並べられたものを買おうか迷った。

ゆっくり時間も過ごしたいし、料理する時間もなんだし、コンビニのパスタでよいか、とは思ったのは確かだが、

家にあるなにかしらでパスタを作った方が絶対うまいだろうし、結果的な満足度は高いだろう、疲れてはいるがまあいいだろうと思い直し、

帰宅して冷蔵庫冷凍庫の素材を見てみると、それなりにいろいろあるのでパスタを作ってみた!

 

キャベツとトマトを刻み、冷凍のシーフードミックスとほうれん草を炒め、にんにくと白ワイン、コンソメと塩コショウで適当に味付けをして。

そしたらなんだかそれなりに美味しいパスタができて、加えて料理は仕事の疲労をほぐすのに丁度良い。

茹でたり刻んだり炒めたりはまるでダンス、踊り終えればパスタはなかなか美味しく、抱えた疲労とコンビニエンスストアのパスタの誘惑に負けずに手製で作って大正解でした。

 

 

 

六本木ヒルズには蜘蛛のオブジェがあり、その周囲を多くの人が通過している。

昨日だったか、蜘蛛の下に小学生の集団がいて、引率の先生が皆に話をしていた。

ちょうどその集団を通り過ぎる際、先生の説明で「蜘蛛の巣のことを英語でウェブと言うんです」という言葉が耳に入ってきた。

そのまま通過したからその後の話がどうなったかはわからないけれども、予想するに「インターネットをウェブというのは蜘蛛の巣が語源なんだよ」みたいなことを言っただろうと予想した。

子供たちはきっと「なるほどなるほど」と納得しただろうと予想する。

だって生まれた時からすでにウェブが、インターネットが世界を覆っていて、当たり前のように存在する世界だもの。

そのあたりの肌感覚は、すでに物心ついたときから身体に入っているだろう。

 

最近読んだ本で、今の若い人たちは生まれた時から物は豊かにあるので常に潤っている世代なのだという。

逆にモノが不足していた世代は「乾いていた」世代であり、その感覚はわかる。が、「乾くことのない」という感覚もわからんでもない。

「何かを欲しい」とする世代は「乾いている」から欲しがるのであり、それがそのまま消費につながる。

が、「乾くことのない」世代にとってみれば、生まれた時から潤っているわけだから、特に欲しがりもしない。たいていのものは求めずともそろっている。

「乾いていた」からこそ求めていた「乾くことのない=潤っている」状態を求めた世代ががんばった結果、潤っていることが当たり前になった世代が、モノを欲しがらなくなる。

そんな世代の皆が「ウェブ」という言葉を聞いて、すぐに世界を覆う蜘蛛の巣のことと納得する。

 

おおお、なんだかすっかり時代は変わったか進んだか、あるいはパラレルな場所へと行ってしまったようである。
しかしながらこれが、今まさに居る場所が現実だ、おそらくそうだろう。

思いつくまま気の向くままに、それすなわちダンス。

その感覚を忘れずにいれば、何が起きても大丈夫だろう。
惑うことなく踊りつづけよう。
あるいは惑うことそれ自体をダンスにしよう。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です