朝見かけた光景を写真に撮って夜になった日々の泡

 

写真右側にある、屋根の上に尖塔があるのが文京区吉祥寺の経蔵です。

 

54年ぶりの11月積雪

 

経蔵の屋根の下で時折、猫に会います。

昨日もいたし、今日もいた。場所はその時々によって違う

どこを見ている

誰が何と言おうとまた猫なのだが

 

しかし去年よく会っていた猫のキキは本当にどこにいってしまったのだろうか。

 

 

 

そして最初の写真の左にある、まるっとしたシルエットの樹がこちら。

空高く紅葉する見上げて過去を思い出す

あとひと月もしたら、それはもう見事に紅葉するのでしょう。

 

いつも寺の掃除をしている清掃員のおじさんに聞いても、樹の名前はわかりませんでした。

 

昨日誕生日を迎えた娘も、来年3月まで保育園に通えばもう小学生。

ということは、当たり前のように毎日通っているこのお寺を通る日常も、もう二度と訪れないということ。

そもそも娘を保育園に送るという行為自体が無くなります。

気付けば5、6年の毎日を当たり前のようにしていた行為が終わるということ。

いやあ不思議だ。まだその時が訪れていないのでよくわからん。

 

 

その最中にはその時のことはよくわかりません。

過ぎてしばらく時間が経って、「ああ、あのときはああだったな」と気付くのです。

それはなぜといえば、渦中にいる時点でその形は流動的で定まらないから。全体が見えないから。

一旦終われば区切られて、その形がわかるようになる。

まあ別に、わかる必要はないんですけど。でもわかりたいって思うこともある。

そんなこんなのくりかえしくりかえされる日々の泡、次々と寄せては返すあれこれに、行ったり来たりして気付けば今日も終わります。

 

 

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