手帳が無くて、超不便

娘が駄洒落探しをしているみたいで、よく思いついた駄洒落を言っているのですが、今日急に思いついたらしいのが、「手帳が無くて、超不便」。
「お、なかなかいいじゃん」と褒めたら嬉しかったらしく、その後何度も口にしていました。
「てちょうがなくてちょうふべん」

 

 

手帳は一応持っていますが、スマホで代用することが多くなっています。その使い分けが難しいところ。
きちんと自分でルール作りをして、手帳もたまに見返して、アプリもあまりたくさんではなく1,2個の備忘録でまとめて、とっ散らかった思考も、時に上手に整理してあげないことには、ずっととっ散らかったまま、すっかり忘れてしまって、もう二度と思い浮かぶことはないでしょう。

 

 

もう二度と会うことはない。
そんな風に思って再び会う人もいれば、もう本当に会うことのできない人もいるでしょう。
あるいはそんな風に意識していないながらもすでに、もう二度と会わない人もいるでしょう。
あるいはまだまだ、あと百回以上会う人もいるでしょう。
そのあたりは、どんなふうにめぐりめぐっているのだろう。
会いたいと思う人に、もう会うことはできないのか。

 

 

今日行った公園には丸太を何本かつなげた、長い平均台?があって、娘が夢中で何度もやっていました。
それなりに難しいのですが、何度かやってみれば上手になり、自信がついたのか、その後はあまり失敗せずに渡れるようになりました。
落ちそうになりながらバランスを取り、落ちてしまうこともあればうまく渡れる時もある。
けれど、上手になったと油断をすると、バランスを崩して落ちてしまう。

 

自分もやってみましたが、上手にはできるんですが、なんだか覚束ない。なんだかずっとバランスを崩しているような気がしてしまう。バランスのとり方がわからなくなってしまったような気がしました。実に不安定極まりません。不便とかそれ以前に覚束ない。いや待てよ、思い返せば、ではきちんと安定していたときなんてあっただろうか。きっとない。ずっと不安定なままでいる。不安定なこわれものを抱えたままであるだろう。確かなものなどありはしないだろう。

 

娘はまるで確かさを、安定した自信とバランスを手に入れようかとするように、なんども丸太の上を歩いていました。最後まで渡り切れば、それはもう嬉しそうでありました。

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