江古田ストアハウス、さよならパーティ

 

1984年にスタートして33年。

ビルの取り壊しが決まったため、江古田ストアハウスは2017円11月末日に閉館。

 

 

まず確実に言えるのは、人生のある時期において、長い稽古期間を経てこの空間で芝居をし、その行為自体に没頭していたことが、少なからず今の自分自身の仕事や生活、そのほか多くのいろいろの、ひとつの指針、考え方の軸みたいなものを形成していることは疑いようもないということだ。

 

ビルの取り壊しに伴い、江古田ストアハウスという空間が世界から姿を消す。

ストアハウスカンパニーという劇団の舞台に参加し、この劇場で歩いたり倒れたり舞ったりしていたのはもう10年くらい前のことになるのか。

その空間自体が無くなるということは、今はまだ信じられはしないけれども、間もなく始まる解体作業を経て、実際にその姿が失われてしまってから、大きな実感を伴い、さまざまな記憶がよみがえってくるのだろうか。

 

さよならパーティーにはたくさんの方がいらしており、同時代を共にした仲間たちと話していればすぐさま時間は過ぎ去った。

芝居をしていなければその全員とは出会わなかった。芝居をはじめたのはささいなきっかけだったが、気付けば芝居という行為経験が、今の自身の在り方の大半を占めている。

そしてその出会いや経験が今につながり、現在従事している仕事やバンド活動に、大いに結びついている。実際に芝居をしていたときは思いもしなかったが、いずれの経験にも無駄は無く、のちのちに必ずや活かされてくることに、改めて驚くことも多い。

 

そんなこんなの記憶やら場面やらがフラッシュバックしたかどうかは思い出せないほど酒を飲み、話をし、夜中に自転車に乗って帰宅した。

以前も稽古をしているときにはその帰路を自転車で帰っていたが、ずいぶんと久しぶりのその帰路はそれなりの長距離で、さすがに帰宅したら息が上がった。それは加齢のせいだけではない、なまりきった身体の正直な反応だったが、しかし清々しかった。

ただ思えば、江古田から自宅まで夜中に帰るという行為自体、もう二度とすることはないだろうか。もう江古田にその場所は無くなってしまうのだから。

 

 

劇場を経営されている木村夫妻は拠点を上野に移し、すでに新たな幕は開かれている。上野という場で、また様々な舞台が繰り広げられている。

次の場所での新たな日々は始まっている。江古田ストアハウスは無くなってしまうのだが、その場に集まった人たちはそれぞれの路にゆき、時に集まって話をすればそこには、お互いが共有した濃密な時間が今なお流れていて、それだけでもう充分だ。

場所は無くなるけれども、そのことに寂しさは確実にあるけれども、無くなったことによる不在の存在感は在るよりも大きいはずで、だからこそ次の場所に行けるだろう。

まずは大きな感謝があるばかり。本当にありがとうございました。

 

2017.11.25@江古田ストアハウス-かけがえのない場所、数々の出会いに感謝

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1 Comment

  1. […] 先日の江古田ストアハウスさよならパーティで久しぶりに会った扇田くんに薦めてもらった映画。 […]

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