空を見上げてぐるりと季節がめぐる共に同じ落葉を見ていた

そのときどきに思い浮かぶことは滅裂している。

いちおう思考の流れはあるのだけれど、とりとめもない。

一日を終えて、今日は何があっただろうかと思えば、場面を思い出すか、思考の流れを思い出す。

しかしその細やかは、確実にその場に自分は居て、何かを思ったに違いないが、思い出せない。

 

ついぞ前後の、数分前のことぐらいしか無い。あとは印象深い出来事が思い出されるくらい。

記憶力、というよりは体感や体験に近いもの。

写真は六本木交差点、午後3時くらい。ランチを食べに外に出て、信号待ちをしているときに撮った。

すぐ横にいた人も、交叉点の写真を撮っていた。写真を見て思い出した。

そのあと青山ブックセンターに行ったが、それなりの人たちとすれちがったが、その誰も顔を覚えちゃいない。

ただすれちがって通り過ぎただけだ。

 

たくさんの人たちとすれちがって通り過ぎてゆくが、仕事で関わったり知り合ったり懇意になったり、今も会うような人たちのことはわかるけれども、もう会わないだろう人もたくさんいる。今はSNSなどがあるから写真などで時折見たりする機会もあり、記憶は補完されるといえばされるけれども、それはあくまでそこまでの話で、また会うことがあれば全然違うだろう。

 

というか、もうほとんどの人たちと会わないだろう。だからそんなみんなは、お互いが共有した時間の印象、というおぼろな形で記憶に残る。

顔はほぼ忘れてしまう。手触り・感触・印象だけが残る。その人となり・たましいみたいなものだけが。

 

時折記憶に降りていく。ひとり静かな時間に。

ランダムに思い浮かぶ、今まで出会ってきた人たち。滅裂している。

元気だろうかあなたは元気だろうか。

空を見上げてぐるりと季節がめぐる共に同じ落葉を見ていた。

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