田中泯 & 松岡正剛 映画『ジャコメッティ 最後の肖像』公開記念対談 12/14 @池袋コミュニティカレッジ

 

敬愛する氏ふたりがジャコメッティを語るなんて、それは行かないわけにいかないと、話を聞きに。
内容は、時に難解な次元に向かいましたが、胸わくわくしながら拝聴しました。

セイゴオちゃんねる – 松岡正剛事務所

以下覚え書きです。(M-松岡氏、T-田中氏)


 

M・ジャコメッティは見たかったものを作った。
千夜千冊の第500話で『エクリ』をとりあげた

T・ダンスにおいて、身体の線が一瞬できるときがある、軸ができる瞬間がある。が、次の瞬間にはぶれている。ぶれ続けている。動き続けていることをどのように表現するか。
ジャコメッティの彫刻は、動き続けていることを描いている。輪郭線が曖昧である。

・私たちは過去と一緒に歩いている。この今に、過去がふと顔を出すことがある。
ジャコメッティは制作においてそれをやっている。

・目の前の空気、何重もの層になったカーテンがある、それを動かさないようにこっちに来てみてくれないか(土方巽)

M・ジャコメッティにおいて、男は動く像であり、女は立像である。

T・人類の原点であるアフリカ。そこから人は移動した(出アフリカ)。ダンスと共に。
そして音、言葉を発見してゆく。
社会が出来ていくにつれ、踊りは社会に変えられていった。

M・形態の奥にあるもの。それはおもかげ。ジプシー、遊牧民は、出アフリカを引き継ぐように、移動し続けている。

T・歩く男の像。本当に歩いているのだろうか?その足はまるで、板のように広く分厚くなっている。

M・作品の質感、形を作ろうとはしていない。その過程を作っている。
彼の目はどこを見ていたのか?それは形の奥のものを見ていた。
模倣の先。模倣の奥。
世阿弥。世阿弥は「時分の花」を目指す。それは幼少期に原点がある。
時分の花の奥、それはジャコメッティの表現につながっている。
それは「真似る」ことによって得られることの先。

T・ジャコメッティは「私の作品は提案である」と言った。

・ダンスしている時の時間は、たくさんのベルトが同時に動いている。
実時間、踊りの時間、そのベルトの間を飛び交っているのが自分。
さらには全景を見ていたり、耳を澄ませて聞いていたり。
それらが大工場のようになっていて、その中で踊りが進行している。
時折そこに「ちきしょう!」という奴が出てきたりする。

M・ペットボトルを見て、「ペットボトル」で完結させずにそれ以外を思い浮かべるエクササイズ。
実態、物体、オブジェ・・・

T・ジャズピアニスト、セシル・テイラーのライブで。彼がステージで詩の朗読をした。
-人類はアフリカから出ていき、そして世界に散らばっていき、今日の世界がある。
が、ある時、アフリカ人をお金で買って、世界にばらまきはじめた。それは戦争以上の事件ではなかろうか。-
そう言うと、会場はシーンと静まり返った。
すると彼は、
-でも次の瞬間、「このあとは何を食べようか?」となるよね。それが今、私たちが生きる社会である。私も、あなたも。-

M・ジャコメッティの作品展を見ていて、ある作品を鑑賞し、次の作品に移動するときの、移動しがたさ。
作品からのはなれがたさ。

「ジャコメッティは、自分が見るために、作品を作っていた。」

 


濃密な1時間半はあっという間に過ぎました。

大きな勇気をもらったことに感謝。

まだまだはじまったばかりだ、やらねば。

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