駄文2018年1月 旅に出たい

カズオ・イシグロの本を読もうと、『わたしを離さないで』という作品を読んでいる。初めての著者の作品。

静謐で緻密な筆致が静かに物語を織っていく。しかしそこに横たわる不穏さ。なんだろうこの感触は、あまり今まで味わったことのないような。

本を読むには体力がいって(必要で)、読みたいけれども長編はよほどの覚悟と気概、あとは物語の面白さが必要だ。若い頃にある程度の作品に触れることができて良かったと思うと同時に、読書は無辺の有用であると切に感じる。役立つために読んではおらずただ、言葉の羅列を追うばかりではあるのだけれど、音楽同様、世界の不確かさに確かさを与えてくれるのが言葉であり音楽だ。

 

世界の不確かさに抗おうと本を読み酒を飲み喋りバンドを通して歌を歌い曲を作っては喜んで、果たしてそれはなにになるだろうと思えばなににもならない。

それらはすべてが与えるばかりで、より面白い世界を観てもらえればよいのにと、せっせと写真を撮りためているようなものである。

舞台俳優に長らく従事していたものだから、身体を晒して観客に奉仕する(観ている人に喜んでもらえればよい)という姿勢が、あまりに身体に染みいってしまったのだろうか。さすればもう自己の愉しみを探求するには遅いだろうか。

 

なんてことはなくて、行きたい方向とタイミング、巡り合わせと天のお導きに耳を傾けるまで。裏っ返せば自らが愉しみたいばかりなのだろう。

今の年齢は42歳になるけれど茫漠とびっくりし、しかし年齢なんてものは結局同じようなもので、これが51になった時も「もう51だ」とか思い、「60なんて年齢を私が刻むなんて思ったことがあったろうか」なんて嘯いているに違いない。嘯く前に、もっともっと世界を広げておくべきだろう。広げながらもやることやって、いつになっても「まだまだこれから」と息巻いている老人になれば、忘れたはずのあの人から遠い便りが届いて再び会い、「そんな人生!」と乾杯を交わすこともあるだろう。

 

日々に祭りを持ち込むのは結局は自分次第である。とりあえずは片手にワインを持って封開けて相手に注ぎ乾杯、それからだろう話はじめるのは。なにもなにをも持ってして、

 

ビル・エヴァンスの名曲の映像が残っていることに感謝しきりである。

 

どこぞの誰か、一緒に旅に出てはくれないだろうか。

 

 

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