捨てられないものは自然に還す

 

娘が小学校に上がり、入学式を終え、本格的に学校に通い始め、そのうちひとりで通学するでしょう。

伴って学習机や椅子を買い、そのために本棚を処分し大量の本を処分し、いわゆる断捨離、取っておく捨てるを選択し、たくさんのものを捨てました。

たくさんのものを捨てましたが、それでも残るものはあります。

 

もういらないから捨ててしまおう断ち切ろうと思ってもどうしても断ち切れない、やっぱり一緒に居たい、と思うものはそれはもう自分にとってどうしようもなく大切なものなので、それはもう腹をくくって一緒にいることにします。それだけのものというのは自分にとっての大きな部分を占めるものであるからして、無理に捨ててしまうこともない。むしろ捨ててしまうと自然が損なわれてしまう。うまく対話しながら、捨てるべきときが来たら捨てよう。

捨てようと思って処分する段ボールに一度は放り込んだのだけれど、改めてやっぱり書棚に戻した本。ぱらぱらと読み直してみると、その本を読んだ時に感じたすっかり忘れてしまったような出来事がよみがえってきて、ああこの本は自身のある部分を担う大切なものなのだ。どうして捨てられることがあるだろう、と思います。

 

人の身体は60%くらいが水で出来ている。

時の経過とともに少しずつ多くのことを忘れていきますが、それでも忘れられないような記憶の感触、思いがけず顔を出すような記憶の感触が水に溶け込んでゆき、次第に身体も動かなくなって、その60%くらいがほぼほぼ記憶で満たされていく過程が老いてゆくことであり、忘れたくても忘れられない自然の声に耳を傾ける。そのわずかな記憶において、濃密な時を共有したことはもはや共犯関係であり、それはもうそのまま捨てずに墓までもっていく。捨てられないものは自然に還す、むしろ自然に感謝をしながら。

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