20yearsafter

ちょーひさびさにマックでハンバーガーとポテトとコーラを食べた。

いつぶりだろう?

半年ぶりくらい?

相変わらずお店は混んでいて、その混雑ぷりに圧倒される。

そしてやっぱりその濃い味付けのジャンクは美味しい。食べちゃう。

で、予想はしていたけれど、食後は胸焼けをして、夜まで続く。

もうマックはいらない年齢になってきたか。

美味いんだけどね。身体に響くわ。

 

ていうか、ドリンクのサイズL、ポテトのサイズLにしなきゃいいんだけどね。

できないんだわ。

詳しくはこちら。

ポテトのLはちょっと多くて胸焼け起こしますがそれでもつい、食べてしまいます

 

姪が今日20歳の誕生日だった。

20歳!

なんと輝かしい年齢だろう。キラキラしている。

きっとマックなんていくら食べても大丈夫だろう。

 

かつてはそうだったけど、今は違う。

今はそうなんだけど、かつては違った。

 


20年前の今日、病院で父と兄と僕で、手持ち無沙汰に時間をつぶしていた場面のことを憶えている。何を話したかとかは全く憶えていない。

それぞれにとっての初孫、初の娘、初の姪、だったわだが、それから20年が経った。

姪の人生そのものの丸々20年は、時間的には周囲の人の20年と同じだけども、まるごと20年という時間の塊を感じさせる。病院の前にいた時と今がつながって、その間の時間がまるごとの時間の塊として今日感じられた。説明しがたい不思議な感じがする。

たとえば自分の娘は今5歳で、もうすぐ6歳になるが、6歳になったらなったで6年という時間の塊が感じられるだろうか。

同様にして、自分の親にしてみれば、息子が40歳とかになると、40年という時間性の塊を感じるものだろうか。それはどんな手触りだろうか。特になんでもないだろうか。まあそんなもんだろう、くらいの感じだろうか。

そんなこと知ったところでたいしたことはない、とか思うものだろうか。

 

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