airdance-twins

テーブルを挟んでソファに座る人は何かを迷っているように見えた。すべきかすべきでないか。長い目で見ればたいしたことはないだろうが、束の間の宵を過ごす上では重要なことであろうに。ゴールデン街を抜けて靖国、さらに新宿通りに出て、まるで通行止めになるくらいの大人数が走破するマラソンのことが思い起こされた。私はスタート間もなくの新宿をあっという間に走り過ぎていたのだが、滅多に来訪することのないような朝の新宿の街を、以前に来訪していた時のことを思い起こしながら走っていた。勝手に場所が覚えている。場所の脇を通り過ぎる際に、その時に隣にいたはずの人のことを思い起こす。

口がカラカラになる。水分補給が必要だ。目指す先はまだまだ先だ。部屋の中は乾いている。むしろ耳を傾ける。その時には届かなかったであろう音が、時を経ての改めて、今になって耳に届く。その時に気付いていられれば良かったのに。気付けなかったことに改めて気付くのは幸福か否か。むしろ気付かないままの方が幸福ではなかろうか。踏み入れなければ、踏み入れる前での遊びに興じていられたのではなかろうか。その扉の前に座っていた番人は、やめろとも行けとも申さなかった。ただそこに座っていた。その選択は私にゆだねられていた。であるならばどうしただろう。私はむしろ扉をくぐることを選んでいただろう。その先に行こうとしていただろう。

踊りに興じるふたりの波動は伝播し、どちらがどうともわからない。しかしながらそれがむしろ心地よい。だからどう、とか、だからどうした、とかはどうでもよい。ただそこにいることが奇跡なだけである。

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