airdancer

 

朝になる前の事だったか、酒場で薄暗く照らされた顔には見覚えがあるようなないような、記憶の端にぶら下がっていた声に聞かれたのは「ここははじめてですか」とのこと。いや、初めてです、と答えると、「そうですかじゃあいいことを教えてあげましょう」と、急に目の前に座っていた顔に手を取られ、奥の階段から2階に連れられて行った。

2階には小さな個室がひと部屋あるだけ。ソファに挟まれ小さなテーブルがあるばかり。思い出した、私はここで以前、まだ知り合って間もない女性と酒を飲んだことがあった。ということを、ここに来るまですっかり忘れていた。女性の顔はまったく覚えていないが、印象は覚えている。この先に思い出すことはできるものだろうか?人の顔などというものは、あってないようなもの、もちろんあるのだが、実際に対面していると、意外と見ているようで見ていない。だからこそ写真で見たりすると不思議に思う。そうか、この人はこんな顔をしていたのかと。

女性の顔も、その時に飲んだ酒の銘柄も、味も、会話の内容も、まったく思い出すことはできないが、この場所だけは覚えている。照明の具合も、ソファの心地も、まるでそのときそのままだ。ここでは何も、何もかも、まったく変わっていないように思える。錯覚だ。「錯覚ですよ」と言う。私の手を取り連れてきた人は、心なしか楽しそうだ。まるで何かを期待しているかのようにも思える。期待に応えてあげたいものだが叶うだろうか。同時に私も期待をしてあげようか。何を?何かしらを。多くを期待してきて叶うこともまれ、そのうち期待することもせずに、世界の予測を期待以上にすることもなくなった。といってもちょっとばかりは夢も見たくて沢山寝てみるが、夢も夢、わかっているのか、期待以上の夢から覚めても覚えていやしない。ただの踊りの延長だったか。若くして踊ることのできた新たなステップを模倣することしかできなくなっているのか。いやそんなことはなかろう。切り拓く心持さえ捨て去ることがなければ、まだまだ遠くまでいけるだろう。しかしここがすでに遠くだとしたら、もう戻ることもできなくなって、遠かったはずのここが、辿り着くべき場所だった、そのことにあとになって気付くのだろうか。

 

 

 

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