@大塚

otsuka-sake

※写真はその日に行ったお店のものではなく、行ってみたい大塚のお店のもの
大塚大提灯

よく谷村と飲むが先日また飲んで、ふたりとも酒飲みなので、中盤あたりで日本酒をオーダーしたあたりからがいけない、酒の勢いが増すのだ。

その日は結果2時過ぎまで飲んでいて、もともと23時オーダーストップでは物足りなくなるだろう、きっと次の店に行ってしまうだろうから、あらかじめ遅めの時間までオープンしている店を選ぼうと思っていたのがそのままに、ピッチも増してグラスは次々空いて「もう一杯」「もう一杯」と何杯飲んだのだろうか。

みたいなことを今までも繰り返してきて、きっとこれからも繰り返していくだろうとは思うのだが、そんな風にして一緒に飲むことのできる相手がいるだけでも幸福であるとしよう。結果的に天辺(日付の変わる12時)を過ぎたあたりからの記憶はいつも曖昧になり、次の日にお互いが「何の話になった?」と確認しあうこと常で、そのあたりからが本音がだだ漏れてくる時間。しかし失われた記憶と混じり合って本音はどこぞへ行ってしまうのも愛嬌。のだけれども、結構大事な話というのはそれなりに記憶のどこかに残っているもので、ふとしたときに思い起こされることだってある。

というわけで、お互い40歳を過ぎても未だにぐいぐいと酒を飲み、ぶわぶわと話をする。

若い頃と違い、誰かと会って酒を飲んで話をするという行為の密度が違う。歳を重ねると若い頃と違い、会う機会を設けることが難しくなり、日々が過ぎゆく速度が増すことと相まって、若い折には毎週のように会っていた人とも年に数回くらいしか会わなくなる。結果として会う際の密度は濃くならざるを得ない。というわけで、言いたいことを言い、できるだけ聞こうとする。

言いたいことを言い、相手の言いたいことをちゃんと聞く関係性を築くことが、どれだけ難しいことか。というか、そういうのはもういらないんじゃないかとさえ思う。

仲良くなるというのは遅れてやってくる。加えて幻想であり、関係性は会うたびに更新され続ける。二度と会わないかもしれない。結果、その時その瞬間に、腹の底から話ができる相手が居るのなら、それだけで幸運だ。感謝をしよう。そうしよう。

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