「しあわせになりたい」

以前(約15年ほど前)、杉並区阿佐ヶ谷で友人たちと共同生活をしていた折に、ルームメートの弟君が一緒に住んでいて、彼がよく発していた言葉。なにかにつけて口癖のように言っていたなぁ。

「あ~つかれたーしあわせになりてぇ~」
「あ~だりぃ~しあわせになりてぇ~」
「あ~腹減った~しあわせになりてぇ~」

みたいに。

その言葉はシンプルに強い。しあわせになりたい、とは、きっとだれしもが思うことだ。

そしてそんな風に言っていた当時は、若くて、なんでもできるような気がしていて、身体もぶんぶん動いていた。今思えば十分にしあわせだったのだ。

が、その最中においては、そのしあわせには気づかない/気づけない。身体が動くことは当然だと思っており、若いがゆえの渇きにどっぷり浸かっていて、だから「しあわせになりたい」と吐き捨ててみたり鼓舞してみたり笑いに昇華させてみたりと、行き場のない躍動を言葉に乗せていた。そんな言葉だった。

普遍的に強い言葉「しあわせになりたい」。

同様の言葉として「よりよくなりたい」というのがある。

それについては今度書くかもしれない。今のところはまだ未定。けど、いつも思っていることではある。

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