子が自分でカメラをいじって撮った写真を見て思ったこと

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子が勝手に自分でカメラをいじって自分で自分を撮っていた。そしたらこんな写真が撮れていた。

こんな写真は意図して撮れない。子供がカメラをいじって撮る写真を、大人のわたしが撮ることはむつかしい。

機械をいじりたおすスタンスがそもそも違う。おそれなくカメラをいじりまわす。適当にボタンを押す。自分を撮ってみようとは思っていながらも、どういう写真を撮ろうとかいう考えはあまりなく、撮れていればよい、とかだろうか。

撮れた写真を見て子はきゃっきゃと喜ぶ。写真を撮る楽しさというのはそういうところにあるのかな。

それは機材が高級なものでなくなり、より生活に密着するようになったからだともいえる。子供がカメラをいじるなんて、ぼくが幼いころなど考えられないことだった。

そうやって次の世代は、上の世代にとって困難だったりすることを、こともなげにひょいと飛びこえる。きっとこれからの成長をともにして、もっといろいろなことを、簡単に飛びこえていくのだろう。

同時に、飛びこえてほしいものだとも思う。どんどんと飛びこえてしまえと。そんなふうにして自分の親は見ていたものだろうか。きっと見ていただろう。が、それは親の意図からは大きく外れたものだったろう。

だからどう、というわけでもないが、子は親の思うようにはならないだろうなと、自分の子を見て思うが、それでも自分の子なので、えてして似ているところを発見しては「自分の子だなぁ」とか思う。

 

 

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