継続と習慣

keizoku継続の力は継続してみなければわからないのは当たり前ですが、きっとそこには継続する前には決してわからなかったものがあるはずです。継続はやがて習慣となり、習慣が人を作ります。成りたい自分がいるのであれば、そのはじまりはささやかな継続からです。

40歳を前にして、この頃は急激な自覚と言いますか、ちゃんと立ってみようという心地が訪れています。赴くままに過ごしてきた日々を、きちんと見つめなおし、さてこれから先を自覚的に、できれば意慾的に歩んでいこうじゃないかと思っています。20代の頃の放蕩、30代の頃の視野の広がりを経ての自覚をもってして。

先日読んだ『断片的なものの社会学』岸政彦【著】がすこぶる面白かったのですが、今年読んだ中でも3本の指に入ると思っていますが(他は西加奈子の『サラバ!』と、小田嶋隆の『小田嶋隆のコラム道』)、そこにはこうありました。

世界のいたるところに転がっている無意味な断片たち、

あるいはそうした断片が集まってこの世界ができあがっていること

世界は断片的なものの集積でできている。物語に回収され得ない、解釈や理解をすら抜け落ちていく、日常生活のいたるところにあるもの。分析できないものたち。まるで秩序だっているかのように錯覚しているけれども、実際はもっとばらついていて、脆くて、どこかに収まることのない、ただの断片たちにあふれている。

この夏に訪れた海岸に打ち上げられた無数の貝殻や石ころなどの無秩序めいて、世界は成り立っており、そんな世界において自覚はたいした威力を持ちはしないでしょうが、せめて限られた時間の中で、目に止まった御縁のある物事たちと、きちんと向き合うことをしようと。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする