距離の麻痺

仕事を終えてのランニングの折には、適度な疲労が手伝い、普段思いつかないようなことを思いつく。日常とは速度と脈拍が異なるものだから、身体も頭も別の回路に切り替わる模様だ。今日は木曜日、帰宅して走った。帰路に走っている人たちが沢山いて、少なからずそういった走っている人たちの姿に何かしらを勝手に貰う。走るというのは逃げも隠れもできずに自分自身と対峙する行為だ。今夜は自分も走ろう。そうしよう。

来月6月にハーフマラソンの大会に出場予定で、そのための身体づくりをしている。だから帰宅してから走った。いや、そうでなくても走りはしたいのだが、先に大会の予定があると、否応なく走った方が良いと思うようになり、ちょっと無理をしてでも走るようにしてしまう。逆にそのように仕組んでしまうことで、自分自身を騙す、というわけでもないけれど、やらざるを得ない状況を作った方がよさそうだと、長年自分と付き合ってきてわかった。先に目標を設定した方が、行動がし易い。

で、今日走っていて急にふと思いついたワードが「距離の麻痺」だった。距離の麻痺とは、普段走っていると、5キロくらい続けたところでいったん疲れがやってきて歩く。歩いてはまた走り、そして再び歩く。日々のランニングを繰り返していくと、その「最初の疲れ」がやってくるのが遅くなる。長い距離を走ることができるようになる。で、もちろん身体は疲労していくのだが、結局の疲労は「アタマ」であり、走るために必要なのは、自分自身がそれまでどれくらい走ってきたかを振り返ることをやめてみて、距離を知ろうとしない、すなわち「距離の麻痺」ということです。身体の疲労よりもアタマの疲労の方がやっかいで、それを麻痺させる、距離の麻痺をすればきっと来月の20キロなんて余裕だ、と思った。そのためには普段から走り、距離を徐々に長くしていくこと、10キロとかは、まだまだ始まったばかり、くらいの心意気で走り始めれば良い。

写真は今宵のランニングの折、上野公園の広場では「さつき展」がやっていて、その陳列を遠目に撮影したものである。今の季節は本当に街が花に溢れていますよね。油断しているとまったく目に入らない。春と梅雨の間の、実は1年の中でも本当に麗しい季節の折と思います。

 

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