ほんものが見えにくい現代だからこそ―『ほんもの:白洲次郎のことなど』白洲正子

honmono

以前お世話になった方に、10年くらい前、教えてもらった話。

 

一流について

 

~一流になることはできないかもしれないけれど、一流に近づくことはできる。そのためには一流に触れること。一流を知ること。一流を見る目を養うこと。

あるいはこちら。

~現代は数多くの作品があふれていて、そして生みだすことも容易になっていますよね。敷居が低いといいますか。その分、一流のものが生まれにくくなっているんです。その結果どうなるかといえば、一流を見極める目が養われなくなる。結果、適当な作品が賞賛され、それが文化の衰退を招くんです。もはや一流も二流も三流も関係なくなる。売れればいい、受ければいいっていう判断基準になってくる。それではいけないと思うんですけどね。でも世の大勢がそうなのであれば、仕方ないのかもしれませんね。

 

 

白洲正子の文章は、いさぎよく、芯があり、さっぱりしている。

たとえば「おしゃれ」という短いエッセイ。

おしゃれの元は虚栄心にあるのかも知れないが、羞恥心を欠いたおしゃれは、おしゃれのうちに入らない。

一歩先へ出るよりも、一歩退いていることの方が、本物のおしゃれだと思う。おしゃれも結構、虚栄心も結構、何事も徹底的にやってみれば、おのずから道は開けるであろう。

『ほんもの』というタイトルには、ほんものを見極めたいとする人の心をくすぐるものがあります。同時代を生きた男たちを見据えた一人の女性のことばには、一流に通じる「ほんもの」が宿っています。

 

巻末に、阿川佐和子との対談が収められていて、阿川の「お幸せでしたね」という言葉に、白洲正子はこう応えます。

幸せだったわよ。あたし、いつも幸せよ、アハハハハ。

飾ることのない言葉に、自分自身もそうありたい、「いつも幸せだよ、あはははは」と言えるように日々いたい、と思います。

 

そうあるためには?

要素はいろいろありそうです。人のことを想うこと。人のためにできることをすること。よくあろうと心がけること。美しいものを、できるかぎり無垢な心でとらえること。素直に喜ぶこと。

時にこころが散らかって、できないときもままありますが、そのようにありたいと心に留めておくこと、心がけることをしたいものです。

 

そしてこんな言葉も魅力的。

本当の〈ほんもの〉は、もはや贋物のように魅力的で、危険極まりない――。

 

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