「そのときそのときの達成感があるからこそ、次に進んでいくことができる」と3000本安打を達成したイチローが言っていた。
芝居をやっていたころは、2か月ほどの稽古期間があって、本番があって、というサイクルに居て、本番を経るとそれなり達成感を味わうことができるから、その過程がずいぶんと大変であったとしても、またやりたくなってしまう。という円環に10年ほど居た。
やればやるほど上手にはなる。が、そこにきりはなくて、わかっていながらやり続け、その都度、乾いていく気がしていた。
というサイクルから抜けて7年くらいが過ぎた。
その後の日々は連綿としているが、達成感は薄くて、あの達成感を味わいたいと身体のどこかが欲している。
ただ、それは代替が叶わない種類のものだ。先日の舞台を観てそう思った。
芝居で味わう達成感は、それはそれなのだ。代用はできない。
禅の言葉に「因果一如」というのがあって、
原因と結果は一緒、
結果はすでに原因と一緒に生まれている
とのこと。
いくらがんばったからといって、その結果を求めることそれ自体がよろしくなくて、結果を求めない、まさに今その従事している過程に結果はあるのだとする、
みたいなことを心に留めながら日々を過ごす心地を持っていたいと思うようになった。