解体現場

IMG_0740

近隣を散歩していると、家屋の解体作業を目撃することがある。解体現場はいつ見ても魅せられる、というか見てしまう。かつてそこには生活の時間があっただろうが、その時間もひっくるめて解体される。どのような心地になるものだろうか。その空間における過去の時間を反芻したりするものだろうか。

するものだろう。そしてそれを目撃している自分自身の現在と、照らし合わせてみたりするものだろう。

などと、一概に言えるものではない。もっともっと多くの要素、思いをひっくるめて、自分が多くの時間をその場で過ごした場が解体されていく様を目撃することは、記憶の臓器を失うような、大事な部分を無くしてしまうような体験だろうか。

いやそれは大袈裟か。そういうものだ、と、諦観するのが結局なのだろうか。

例えば建物二階部分にある扉はもう、重機に荒々しく破壊されることを待つのみだが、仮にかつてこの家に住んでいたのであれば、その扉の前でじっと座っていた自分とか、その扉を開けようとしていた誰かとか、その色んな時間性をひっくるめて破壊される。それを目撃するとしたら、どのような気分がするだろう。

それはそれ、として麻痺してしまうものだろうか。子供だったらきっと泣くだろう。大人は泣かない。色々事情があるだろうから。たぶん。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする