『かさ』太田大八

kasa

もう忘れてしまったが、何かしらの本を読んでいたら、この絵本のことが書かれており、図書館にあったので手にしてみた。そこには台詞が無く、モノクロの絵の中に赤い傘だけに色がつけられていて、雨の中を赤い傘を差した女の子が駅まで父親を迎えに行くのだ。

ページをめくるたびに目に入る色は赤い傘の色だけ。その構成とシンプルさが単純に面白く、お父さんを迎えに行く娘の純粋さ、無防備さ、健気な様子が「赤い傘」に集約されている。というよりそれ以上に、ただ「画」の力が面白い。

なんだろうこの、余計なものがいらない面白さ。そういう場所に居たいと常日頃思う。そうかきっと情報が多いんだな。もっとそぎ落とすことをしよう。

今日はまず錦糸町に赴き、その後秋葉原に行った。連休の真ん中、どこも人に溢れていた。以前より、人混みの中を歩くと、段々と調子が悪くなり、一定時間を過ぎると、人混みの中を行くのが苦痛になってくる。今日もその予兆が訪れたのだが、それはなぜだろうかと考えてみた。そしたらわかった。

普段街を歩いている際に、基本的に私は人の「顔」を見て歩く。それが癖になっている。どんな場所においても、その場における状況を把握するように、周りの人の表情をまずは見る。だからだ。人混みに入ると、見るべき顔が多くなり、単純に情報量が多くなって、疲労してしまう。加えて今日は子供も連れての移動だから、子供のゆきかいに気を使いながら、周りの人の顔を見て、余計に疲労してしまうのだ、ということがわかった。

きっとそれは癖。で、自覚したものだから、人の顔を見るのは辞めようと思いながら歩いてみたが、それができない。ついつい見てしまう。というか、目は周囲の人の表情を追ってしまう。何だろうこの癖は。

絵本「かさ」は、多くを描きこまれていないぶん、読者の自由が多くある。気にせず自由に解釈できる。自由に解釈するために、もっと周囲を気にしなければ良いのかもしれない。私はただ単純に、父親に傘を届けに行くのだ。ただそれだけで十分ではないか。

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