ひさびさに震えた小説。込められた“熱”に火傷しかねない ―『小説王』早見和真

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若い頃は小説ばかり読んでいました。むしろ小説以外は読まなかったというくらいに。仕事をしてもらっている大学生のアルバイトさんに聞いてみたところ、彼女もどうやらそうらしく、読む本のほとんどが小説なのだそうです。
それはみんながそうなのか?
いやそんなことはないと思うんですが、なぜ若い頃は小説ばかりを読むのでしょうね。

ところで今40歳なのですが、小説というものをほとんど読まなくなりました。
なぜだろう?
本は読むんです、職業柄といいますか、いろいろなジャンルの本は読みます。
そのせいかもしれません。小説は読みたいのですが、それ以上に別の本を読まなければならない。小説を欲してはいるんです。が、時にいまいちな小説を読むと、なんか損をしたような気分になる。なので足が遠のいているのかもしれません。

久しぶりに小説を読みました。
タイトルは『小説王』。挑戦的なタイトル、そして装丁も挑戦的。
若き小説家と編集者が、出版業界・そして文芸の不況に風穴を開けようと、苦しみ、もがき、突き抜けようとする、“熱”のこもった物語です。

いったい自分はいつまで“いつか”のために“いま”を保留してるのかってずっとムカついてたから。これで失敗したら死ななきゃいけないっていうような作品と一日も早く出会わなきゃいけなかったんです。

人工知能やロボットが身近になるであろう社会の到来が予感されています。
関連書籍も多く見られるようになってきました。
そこで問われるのは、逆に「人間とはなにか?」という問いです。

たとえば事故で腕を失ってしまった人が、現代のテクノロジーで作られた高性能の義手を身につける。まるで人間同様の動きをする義手を身に付けた人は、果たして「人間」なのか「機械」なのか。
あるいは事故で身体が不全になり、脳だけは機能する人が、ロボットに脳を移植される。それは果たして「人間」なのか「ロボット」なのか。

それ以前に、人間自身が人間のことを深く理解しているとはいえない中で、人間を人間たらしめているひとつの要素が「物語」である、という考えがあります。本書はその「物語」を取り戻そうとする意欲にあふれています。

人はだれしも、なにかしらの物語の中に生きており、人の数だけ物語があります。
日々電車に乗り、職場に通うという物語。
恋人と出会い、別れるという物語。
家族と向き合い、子の成長を見守るという物語。

たとえば物語が無かったら、人は生きていけません。
工場で働く人が、目の前の部品をただ組み上げていくだけでは音をあげる。
宇宙に飛ばすロケットの部品を組み上げているという物語があれば、意欲がわく。

今日本にある物語として、2020年の東京オリンピックに向かっていると考えることもできます。今年の夏のリオデジャネイロオリンピックが終われば、次は東京。
ではその先にはなにが待っているのか。
戦後、高度経済成長の時代は、“成長”という物語がありました。
バブルを経て、失われた時代を経て、今はどのような物語の最中なのか。

小説を取り戻す。物語を取り戻す。その先にある物語を準備する。
久しぶりに、本そのものが熱気を帯びた物語に出合いました。

また物語が必要とされる時代は、たぶん僕たちが思うよりもすぐ近くにまで迫っている。だからみんな急いで準備しなくちゃいけないし、焦らなきゃいけないんだ。

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