まるでお祭り

dashi-sangentyo

連休中に中学時代のクラス会があった。

中学卒業以来の再会は25年ぶりで、それは随分な久しぶりと言ってよいだろう。皆は皆、それぞれの変遷を経てそこに集まり、それなりに大人にはなっているけれども、ほとんど変わらぬ様子に見えた。

中学の頃の皆が居て、その後それぞれの道をゆき、高校の輪、大学の輪、職場の輪、などなど、様々な輪に出会い別れて時間が過ぎゆきた。
で、25年ぶりの中学の輪に戻って「変わらないね」などと言ったり言われたりしていると、若い頃はもっと変わりたい、いろいろやってみたいと思い、あまり多くはできなかったがいろいろなことをやりつつ、結果としては、ほとんど変わることはなく自分は自分であり、きっとそれはこれからもそうだろう。

例えば若い頃に出会った仲間は、まだ若いから色々な可能性やら要素やらを持っていて、良くも悪くもそれが個々人の個性であった。で、その後生きていく中で、元々は持ち合わせていた要素のいくつかを、自覚的無自覚的にその本人が選んでゆき、結果、持ち合わせていた可能性や要素の伸びしろを使い果たし、歳をとって段々とその人そのものになってゆく。
その過程を経て、25年ぶりに再会した皆が変わらぬ様子を見ると、同時に自分も変わらず、より自分自身になっているのだろうと再認識した。

連休中には祭りがあり、祭りの時は大抵帰省する。

祭囃子は同じようなリズムや旋律を刻み、実は変わらないように思えるが、いつの間にか変っていて、でもまた元に戻り、躍動したりおとなしくなったり、刻まれるビートは人そのものだろう。
いつでも祭りはあっという間に終わってしまう、中学の皆との再会の間に横たわっているはずの25年なんて、本当にあっという間だった。そんな風にして時間は伸びたり縮んだりし、歳を経て身体は動かなくなっていくが、視野はどんどんと広がっていく。

祭りの様子も、年老いた人の視線は遠くを見やる。きっとその祭りの風景に、実に様々を見ているのだろうと、今年の祭りの風景に自分自身が居るにおいても再認識した。

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