ある日の夕食のこと

syokutaku

せめて同じ食卓にのぼるのならば少しでも美味しいものを、と、いつの頃からか思うようになった。それはいつの頃だろう? 美味しさにきりは無く、正解なんて無くて、ささやかなその時の力量に見合ったベストがある。せめて今はこの程度、くらいの美味しさが食卓に上がる。いかように取り繕っても、食卓に上がるのはその時のその味で、それ以上でもそれ以下でもない。一品を味わってもらうことで、他者の目、いや舌を通して、その反応を見て、味の採点をする。その採点をもとにして、せめて次に作るときはもう少しでも美味しく作れるように、と思う。その日の食卓が終わればすぐに忘れてしまうんだけど。

 

ささやかな食卓の時間が少しでもよいものとなるように。そのための要素は無数だけれども、せめてもの手数と気働きが、何かのお役に立てればと。

 

 

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