BRAHMS・POGORELICH


2015年の後半から、クラシック音楽の耳が開きました。

それまでも色々と聞いてはいたんです。でもいまいちよくわからない、という状態が続いていました。だから特に積極的には聞いてはいませんでした。

何がきっかけだったのだろう。それは今となってはよくわかりません。「あれっ、なんかおもしろいかもしれない」と、ふと思ったんです。まるで空からその思いが降ってきたみたいに。構えが無くなったというか。音を、ただの音として、身を晒せばよいのだということに気付きました。なぜ気付かなかったんだろう?と、今となっては不思議です。ただ身を任せればよかったのだと。

で、それから貪るようにして、クラシック音楽を聞いています。マーラーやベートーベンの交響曲から入っているのですが、当然ながらその世界は雄大で、どんどんと世界は開けていきます。

それはもしかしたら、「化ける」という感覚に近いのかもしれません。
「化ける」ことについては、後日書こうと思っています。

身近な人たちに聞いてみると、意外とクラシックの素養がある人たちは多くて、皆が皆、それぞれのストーリーを持ち、おすすめの音を教えてくれます。「〇〇から聞けばいいと思うよ」と、皆は親切に教えてくれます。

加えて、できればおすすめしてくれた相手に、「本当に好きな曲って何?」と聞きます。すると、皆違った曲をおすすめしてくれます。それは当然で、その人それぞれ、今まで生きてきた中で出会ってきた音楽への思い入れがあります。

そしてそんな音をおすすめしてくれるその瞬間は、皆いい顔をしています。純粋に好きな音楽をすすめてくれる人の顔、その喋りは、単純に面白く、共にわくわくします。仮に一緒にその音楽を聞き、私は初めて聞くのだけれど、相手は本当に好きなものを聞く、聞きながら、相手はどう思うだろう?と思ってもいる、そんな場は、かけがえのない瞬間です。その音楽は、相手の思い入れが伴うからこそ更に良いものに聞こえます。深く音楽の時間に入る。音を共にする。

というわけで、ポゴレリチのブラームス。

これは、もう何度も聴かねばならないだろう。時間が行ったり来たりする。ずーっと聞ける。というか聞く。

淡々と音が置かれていく、まるで波が行きかうように情緒に響く。なんだか切ないのに、伴って想いの底がざわめく。これは困った音だ。聞けば聞くほど聞きたくなるやつだ。

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