年の瀬近くの空は見上げずとも澄んでいる

201612-sky

別に気にしているわけではないのに、街の様子が年の瀬を帯びてきていて、街ゆく人たちの様子が慌ただしくせわしなくなっているような気がして、つられて私もなんだか慌ただしいような心地がしてしまうのは損だ。と思ってはいながらも、ついわさわさとしてしまうのはきっと今も以前も、そしてこれからしばらくもそうなのだろうから、もうそれはそういうものだと腹をくくった方がよいだろうか。

昨日のマラソンのダメージはほとんどなく(明日むくむくとダメージとやらが全身をおおいつくすかもしれないが)、12月いわゆる師走を過ごしている。わかってはいながらやることは蓄積されていて、さて終わるのだろうかそれらは。

まあやらなくたっていいんだろうけど。

くらいな気持ちでやりたいものです。

娘が11月からダンス教室に通っていて、最初はいまいちピンとこない様子だったが、次第に慣れてきた。楽しそうである。

そしたら今日は帰ってきてからこんな絵を描いていた。

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ダンスを踊っているみんなの様子らしい。楽しそうですね。

子供は躊躇なく絵を描くのでいい。

そうか私もそうすればいい。

このブログに書くような敷居の低さで絵を描けば、それも継続的に描いていけば、きっとそれなりに面白い画を描くことができるようになるのではなかろうか。

というやりたがりの性分がいけない。今までも色々な物事に興味を持ち、興味を持つまではいいが、結果実行に移して、その後飽きてもうやらない、なんてことは数多ある。

のだけれども、それはそれでいいと思っているのがたちが悪い。

なんてこともない。だって興味があるのだもの。やりたいと思ったことはやるべきなので、そしてやりたいと思った時に着手しなければきっと一生縁はないだろう。というわけでいろいろ手をつけてきているが、結果性分に合うものだけが続けてやっていられる。けれどもやってみなければ性分に合うかどうかはわからなかったので、やってよかったと思っている。いろいろやればいい。トライ&エラーで着手した物事の面白味・エッセンスに触れるだけでも視界は広がるだろうし豊かだ。

年の瀬近くの空は見上げずとも澄んでいる。

澄んだ空を見上げて幸福を感じる心持だけは持ち続けて生きていきたいものである。

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