『服従』ミシェル・ウエルベック-揺らぐ日常、景色が変わる読書

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ちょっとこれは衝撃な読書だった。そこで起こることは、にわかに信じがたい。

が、素直に「信じられない」と否定しきれない思いがある。ひょっとしたらひょっとして、そのような未来が訪れるかもしれないと思えてならない。

 

物語としては、ざっくりとだが、2022年、フランスがイスラム政権になり、主人公・大学教授であるフランソワが、イスラム教に改宗する、というもの。

 

世界史的に考えて、ローマ帝国もオスマン帝国も、帝国と名の付くものはいずれ崩壊し、そして今のヨーロッパも、これから先も現在の形を維持したままであることはにわかに考え難い(それがいつ?というのはもちろんわからない)。

現状、EUが揺らいでいるのは様々な要素を以てして見て取れるし、中東問題に伴うシリアからの難民がヨーロッパに大移動していることそれ自体からして、大きな民族移動が歴史を揺るがしてきたそれに倣っている。

主人公フランソワは、政権が変わったことにより教授職を追われるのだが、オイルマネーに潤った政権から支払われる年金は生きていくには十分過ぎ、一夫多妻を是とするイスラム教の教えに従うことで、再度教授職に復帰する。知識はあれど力を持たないヨーロッパの知識層は、大きな流れに抗うことなく、その状況をただ受け入れる「服従する」ことになる、と、まるで予言的に物語は展開するのだ。

 

当たり前と考えていたものが、当たり前で無くなる時。その「揺らぎ」において、人は何を思うだろうか。

ノスタルジーは美的な感情とは何の関係も持たず、幸福な思い出と結びつかなくても、ぼくたちは自分が「生きた」その場所を懐かしく感じるのだ、そこで幸せだったかどうかは関係ない、過去は常に美しく、未来も同様なのだ。ただ現在だけが人を傷つけ、過去と未来、平和に満ちた幸福の無限の二つの時間に挟まれて、苦悩の腫れ物のように常に自分につきまとい、ぼくたちはそれと共に歩くのだった。

自分の力ではどうしようもない大きな流れに飲み込まれた時、人は果たしてその流れに服従するしかないのだろうか。

もちろん思考することはできる。できるが、その思考の結果が「服従」しかない、とする本書が提示する現代の姿に、それでも思考し続けることが重要だと、けれどもそれは茨の道だと、読後の大きなざわめきが響き続ける読書であった。

 

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