ストアハウスカンパニー/Remains – その2

Furugi

7月2日にストアハウスカンパニーの「remains」を観に行って、観に行くとしばらくはそのことが頭から離れない。

で、過去の公演やらの写真を観てみたら、ロシア公演の折に使用していた古着の写真があった。古着自体は確かロシアで調達したものだったと思われる。「ceremony」という作品で、舞台では古着が舞い、そして身にまとい、誰かの記憶を背負って舞台を歩いた。あれは2007年だった。写真の古着は当時の色彩を保ったままだが、記憶は色あせていく。

 

今回の「remains」で、古着が舞うシーンがあるのだが、「ceremony」当時は私もそのシーンに居た。そのシーンに居たときは見えなかったのに、今回客席から観ていたら見えたのは、明らかに過去の共演者たちだった。おそらくは「見えた」というより、「見たかった」から「見えた」のだと思う。過去の共演者たちは、古着と演者の姿を借りて、瞬間瞬間に舞台に現れた。演者として舞台に出ていたものだから、古着が舞う映像に焼き付けられた共演者たちの姿が、「そこに居てほしい」という願望めいた思いとも混濁して、見えたのだろう(演者として出ている際には気付かない。それどころではない。それこそ必死になって、舞台空間を古着で埋め尽くさねばならない)。

 

古着と戯れ、奉仕して、古着を身に着けたのち、再び舞台に立つ演者は亡霊めく。それこそ観客ひとりひとりの記憶/夢と戯れる身体を獲得する。それはどんな心地だっただろう? 舞台を離れて久しくなるので、だいぶ忘れてしまった。その心地を知るのが、今なお舞台に立つ演者の特権だ。その味は危険で、あまりに接種するとやめられない。ロシアの当時を知る演者が今回も舞台に立っている。彼は今なお、記憶や夢の再現ではなく、まさにその時その場に立っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です