大手町のビル群を見て思う都市生活者

~20140718 023

通勤路に大手町を通ります。現在の大手町あたりは建設ラッシュで、スケルトンなビルがあちこち目につき、骨組みが次第に空に向かって立ち上がってゆきます。ゆくゆくはすべてのビルの建設が終わり、新たなオフィス街として生まれ変わる、のでしょうか。すでにその計画は立てられているのでしょうし、近い未来の大手町の活況を思い描きながら、繁栄を夢見る人も沢山いるのでしょう。

 

果たして数年後はどのような世界が展開されているのか? 想像は楽しきことですが、それが自身の子の世代に引き継いでいける種類のものなのかという危惧は、少なからずあります。直接的に関わっているわけではないので、何をどうすることもできませんが。

 

とは思いつつ、街は個人の思いの範疇を超え、何らかの都市計画に基づいているのかいないのか、まるで大きな意思を持つ化け物めいて蠢きながら、次第にその姿を変え続けます。

普段生活をしていると忘れてしまいますが、東京で生活していると、その移り変わり/変遷に、まさに立ち合っているわけです。そこに良し悪しは無く、生活をしている以上、都市の一部として胎動を共にしていることになります。

何が言いたいのかといえば、都市の胎動を共にしているということは、やはり自身の子の世代に引き継ぐ何かしらの責任は担っているのだろう、ということであり、少なからず日々の生活・行動も、何らかの影響をどこかしらに及ぼしている、はずです。傍観者ではなく当事者として、その蠢きに加担している、はずです。

 

という風に思うと、都市生活者であることに、自覚的でなければな、などと思います。大手町ビル群の合間を、時折子供の手を引き歩きますが、子供にはこの都市の姿はどのように見えているのだろう? それが原風景って、どんな心地だろう? などと思います。当然ながら、当の本人は全くの無自覚ですけれども。

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