どちらにいこう

何方

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今日の座禅会は住職の講話で、話をずっと聞いてから座禅になったのですが、20分くらいの話が終わって座禅がはじまり、あらためて30分くらい座るのだろうと思ったら、どうやら40分くらい話をしていたようで、あっという間に時間が過ぎて、えっ、もう終わり?と、終わるのがあまりに早くてびっくりしたのです。

 

ひたすら座っているとだんだん時間性がわからなくなっていくのですが、それは座ることのひとつのおもしろいことで、どれだけ自分が時間というものに捕らわれているかってことに気付くことでもあります。別に時間なんて気にせずいられればよい。

現代社会で生活し仕事をしていると、なかなかそうはいかないのですが。

 

座禅をしていると、いろいろと思いが浮かんでは消えていきます。手放していきます。どうしようもなく「今」にただ座るということをします。座っていることも忘れ、呼吸に集中し、呼吸も忘れて、遠くの鳥の鳴き声や風が吹き抜けていく音に身を投じています。というようなことにふと気づきます。

 

座禅に関して関連書を読んでいますが、結局いちばんわかるのは、座ることを通してでしかありません。実践あるのみです。そのうえで、座ることをより充実させたいと思うがゆえに、関連書を読むこともしようと気持ちが向いています。

 

純粋な好奇心に突き動かされるがままの読書は、なにごとにも惑わされずに集中できます。

できうるならば、そういう読書体験を続けていきたいと思うばかりです。

あるがままなすがままです。耳を澄ませるのと一緒だと思うばかりです。

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