「自分の好きなことってなに?」を追う思考の過程

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自分の好きなこととはなんだろう?
時間を忘れ、没頭することってなんだろう?

最近目にする文章を読んでいると、「好きなことを突き詰める」ことの大切さを説く言動が多いのです。足並みそろえて、というわけではなく、大きな流れとして、各所でそのことが言われ、共鳴しています。

 

あなたの好きなことってなんですか?
時間を忘れ、これならば没頭してずーっと従事していられることってなんでしょう?

 

自身に問うてみると、結構難しいんですよ。文章を書くことは好きで書くんですが、「ずーっと続けられるか」と言われればそんなこともない。疲れてしまうし、集中もできなくなります。走ることや写真を撮るのも好きなんですが、ずーっとやるかというとそんなことはない。

 

いや、ずーっとやることができるから好きなことなのかという疑いをもってすれば、そんなことはないですね。

必ずしも従事し続ける必要はないんです。離れたって良い。でも常にそのことが頭にある。考える上での軸になるようなことがあるかないかっていうのは、生きていく上ではずいぶん違うのだと思います。

 

自分がこれをやろう、と思って、没頭というほどでもなく、継続して一定の熱量を保ちながら続けていられることって、きっと好きなことです。

若くして見つけられる人もいれば、まったく見つからないままに日々が過ぎゆく人もいる。見つからなくても構わない、生きていく上では問題ないっていう人もたくさんいる。

そもそも、好きなことをみつけなきゃいけないの?と問われると、そうとも言い難い。好きとか嫌いとか以前に、生きるということに必死になることもある。

 

たとえ「これが好きだ」と思い、従事し続けたのだとしても、「これで良い」という保証があるわけでもなく、というか好きなことを突き詰める上で保証などというものは必要があるはずもなく、ただ続ければよい。それ以上でもそれ以下でもありません。

「これは面白いかもしれないぞ」と思って試してはみたものの、「どうやら違うみたいだ」と気付いた結果、やめてもよい。「どうやら違う」と気付いただけでも「好き」に近付いたと言える。

 

「よりよくなろうと思うこと」は、人が生きていく上での原初的なことなのだと思います。より知りたい、より世界を見たい・明らかにしたいと思うことの原理的なところには、「よりよくなる」という思いがあるのだと思います。

こうやって文章を書き連ねるのも、「書きたい→書くことで知りたい→明らかにしたい→よりよく世界を見たい→多くの世界をみることで、世界に近づきたい→世界と一致したい→世界と一致すること、すなわち自分の生きている世界により近づく」

あれ、よりよくなる、とはちょっとばかり違いますが、そのあたりの原理を突き詰めていくのが難しい。

とか思いながら文章を書き連ねるのが好きなこと?

 

少なからず時間は忘れました。でもまだまだ足りない。

 

好きなことを見つける。好きなことを続けていく。これが本当に好きなこと?という疑いを持ちながらも継続していく。好きであれば継続は可能なはずです。そしてその先にはきっとなにかあるはずだと信じることも必要です。たとえ何もなくたって。

大切なのは結果ではなくプロセスです。継続の中におもしろさはある。

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