ものごとをよく見るところから

201606starman

世界のレイヤー(層)が複雑を増していることもあり、複雑にからめとられてはいけないと、確かな場所につなぎとめるひとつの抗いとして、逆にものをよーく見ることをこの頃の課題としています。

見る、と言っても、漢字を当てれば、見る・観る・診る・視る、などといろいろあるんですが、日々過ごしていると、視界に入るものが多すぎて余計なもので、見ることをちゃんと意識してコントロールしていないとやられてしまいます。やられてぼーっとしてしまいます。

はっ!いけないいけない、ぼーっとしていた、と我にかえれば夕刻が訪れ、大切ないちにちも酒を飲む時間になってしまったみたいだ。仕方ない、夜の匂いが酒のきざしを連れてくるのだもの、とりあえず飲んでおこうか。

はて日中はなにをしていただろう?まあ仕事をしていたんでしょうが、すっかり忘れて何をしたかは覚えておらず、スケジュール管理をしているグーグルカレンダーを見たらそうか、そんなことをしていたなと思い出しながらグラスを傾け、心地のベクトルは夕刻にお待ち申し上げているビールのその先へ行ってしまった。

ということを踏まえたうえで、

ものをよく見る。どういうことか。
それはものごとをもっと細かく刻んでみる行為。
見ているようで見ていない。もっと細部を見てみれば必ずや気付きが訪れる。
細部を見ては、全体を見る。そしてふたたび自身の視点に戻ってくる。

見る、と同時に見る、発見する。と同時に言葉が浮かび、できれば書きとめる。書きとめると同時に見る。見て、写真を撮る。撮って、撮った写真を言語化する。言語化された写真は物語を帯びる。物語を書きとめる。浮かび上がってくる物語を発見し、書きとめ、そして再び見る。

目の前の対象はなんら変化してはいない。変わったのは目撃しているこちら側だ。
答えはどうやらそのあたりにあるみたいだ。

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