ゆめのあと

yumenoato

バンド練習をするときは決まって近くにある地域センターのこの部屋で、というのが定番になった。この部屋で練習してアイデアが生まれ、気付けばもう4回?の保育園でのバンド演奏会を開催した。

 

演者としての舞台活動から離れてもう7,8年が経とうとしているが、不思議に思うのは、人前に立って何かをするという行為からは離れたつもりなのに、そこにはやはり磁場があり、気付けば引き寄せられて歌ったり踊ったりしている。もう少しそういう行為をしてみたいという心があるからかもしれない。結局人前に立ってなんだかだするのが好きなのだろう。

 

人前に立つ行為はまるで「ゆめ」のようである。それも事前に見ることがわかっている「ゆめ」である。

舞台に立つ行為は日常として普段と地続きなはずなのに、いつもとは違った感覚を得る。「よし、いくぞ」と言いきかせてから舞台に立つ。舞台の時間は特別だ。神経が研ぎ澄まされる。視界が広くなる。瞬間瞬間に思考がめぐる。そして終わればその感覚はすっかり忘れる。その瞬間にしか訪れない快楽だ。

だからまたやりたくなる。大変だけれど面白いから。終ってしまえば「ゆめ」に魅せられ、しばらくはボーっとなる。「ゆめ」の瞬間に至るまでが大変であれば、その反動はなおさらだ。そのスパイラルにはまりこんでやめられなくなる。しかし人生のそれが「ゆめ」だと思えば構うことなどあるだろうか。

 

次にまた人前に立ってナニカをすることがあるかどうかはわからないが、きっとあるだろう。そんな予感と、ふつふつとした「舞台に立ちたい気持ち」があることは否定できない。

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